2014年06月05日
親は心配するもの
娘が親友と2人でアフリカ・ケニヤのサファリ旅行に行きました。
子どもの頃からの夢の実現です。
親としては、心配してもしょうがないのはわかっているけど心配してしまいました。
1週間後、帰ってきたとの連絡と写真が届きましたよ。
楽しそうな、ホントに楽しそうな写真が200枚超。
あー、良かった、良かった。ホントに良かった。


さて、
それでも親は心配する。
たいした事がなくても心配する。
そんなにせっぱつまった状況でなくても子のことを思って心配する。
すべての親がどうかは知らないが、この親(私)は心配していた。
そして、振り返って分かった事だが、心配する対象がいることが、とても心地良かった。
親の特権だとも思う。損得勘定をすべてぬぐい去って、純粋に子のことを思うのである。
人間って、ひょっとしたら、打算なしに他者の幸いを願う事が実は、自分の幸いなのかもしれないなあ。
天の父は、いつも私たち一人一人の事を気にかけておられる。
私たちは天の父に似ているのでしょうね。
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある」
聖書
Posted by 伊江島キリスト教会 at 00:13│Comments(0)
│親の想い